宗教的なことを書いているように見えるかもしれませんが、私は特定の信仰は持っているわではありませんので、ご了承ください。
自分の希望していることが現実になるように願い祈ることは大切なことだと思います。
実際に祈ることは科学的な効果があるという実験結果もあります。
試しに「ランドルフ・ビルド博士による実験」をグーグルで調べてみてください。
今回は「祈り」の効果について書いてみました。
目次
1.祈りの効果
2.祈りに関する実体験
3.「陰が薄い」に5,000円
4.凶、凶、凶
5.友人の母怒る
6.祈ることは諦めないこと
1.祈りの効果(科学的効果)
以下の記事の中で、
合格祈願のお祈りにエビデンス(科学的根拠)があることを書きました。
上述した通り、
神社や仏閣、教会などの参拝の作法とお祈りには、科学的な効果があるそうです。
また、参拝の手順をきっちりと踏んでお祈りするということは、イチローや五郎丸がやっていたルーティーンのような観点から見ると意味のあることではないかと思います。
「祈り」に効果があるなら、それを高めるためのルーティーンをきっちりとこなすことは大事だと思いませんか。
もちろん神の聖域に入って祈りを捧げるための儀式として宗教的にも文化的にも重要なのは言うまでもありません。
神社に合格祈願にいく際のきちんとした作法について知りたい方は、以下をご覧ください。
ご先祖さまが対象でもいいですし、自分の尊敬する方や自分自身に祈ることも良いことだと思います。
祈りの効果は科学的に実証されていると思って諦めずにどんどん祈りましょう。
神も仏も先祖も自分も何もかも信じて祈る気持ちは、決して諦めない気持ちと同義だと思いませんか。
自分の希望していることが現実となるように願い祈ることやめてしまった時が、諦めてしまった瞬間と言えるかもしれません。
私の経験上、真摯な心からの祈りは絶大な効果があると思います。
2.祈りに関する実体験
以下は、わりと宗教的なことを書いていますが、私は特定の信仰を持っているわけではありません。
私は、ある出来事以来、神にお願いして「祈る」ということをまったくしなくなっていた時期がありました。
そして、それを振り返って思うことは、ものすごく損をしていたのではないかということです。
ちなみに、また別の出来事以来、再びお祈りするようになりました。
そんな私の話ですが、興味があれば読んでみてください。
3.「陰が薄い」に5,000円
私は小学生ぐらいの頃、病弱だったので、親戚の勧めで地元で有名な霊媒師に見てもらったことがあります。
「陰が薄い」とか「このままだと悪い方向に向かう一方だ」と言われた挙句、親戚に促されて拝見料5,000円を母が渡していました。
怒りがこみあげてきて「ええ?!」と思わず口から言葉が出てしまったのを今でも覚えています。
今思うと、相手も慈善事業でやっている訳ではないので対価を支払うのは当然のことだろうと思います。
ただ、当時の私はそんな気持ちは一切持ちあわせていませんでした。
外地蔵の私は、さすがにその場ではおとなしくしていました。
しかし、家に帰ってから内弁慶の私は激怒しました。
「陰が薄いので病気になるのですか?!」
「さらには、『悪くなる一方だ』とか因縁をつけられた挙句、何の解決策も示さない相手にお金を支払うのですか?!」
「結局、霊媒師にみてもらってなんのメリットがあったのですか?寒い中出向いたというのに!」
「弱っている人間に『悪くなる一方だ』などと言葉をかければ、もっと弱りこんで何度でも通って来るとでも思っているに違いない!」
「あらゆる意味で寒いから、もう2度と連れて行かないで欲しい!」
私は、体は弱いが内弁慶で口だけは達者だったのです。
それに母は半分あきれた顔を見せると共に、「一理ある」といってもう2度と霊媒師のもとに連れて行くことはありませんでした。
ただ、母は中途半端に信心があったので、その後も病状が良くならないと、
「やはり『陰が薄い』と言われていたので、病気が良くならないのかな?」
と真顔で言っていたので、「いい加減にして欲しい」とよく怒っていました。
なんのお陰か知りませんが、
私は現在まったく健康に日々を過ごせており、
「捨てる神あれば拾う神あり」「渡る世間に鬼はなし」と感謝の日々を過ごしております。
こういったエピソードがあったので、私はおよそ神とか霊とかいった信仰の領域にあるようなものは全て否定し、何かあると因縁をつけてきて金を取ろうとするのが宗教であると思って生きていました。
4.凶、凶、凶
それから時が経って高校生になり、大学受験を控えた年に、初詣に友人達と行きました。そこで、おみくじを引くと「凶」が出たのです。
そこで、母が語ったある話が思い浮かびました。
また私の母が登場するのですが、
母はある年の初詣で神社でおみくじを引いて「凶」が出たそうです。
そして納得いかず2回目を引くと「凶」、さらに3回目を引くとまたもや「凶」が出たそうです。
そこで、母は諦めて今年は悪い年になるだろうと確信したそうです。そして、実際その年は人生で最悪の年だったと私に語ったことがあったのです。
その母親の話が咄嗟に頭に思い浮かび、私はもう一度おみくじを引きました。
今度は「吉」が出ました。次は「小吉」、「末吉」、「中吉」、「吉」、「末吉」などなど10回以上引き続けました。
ついに「大吉」が出るまで13回引き続けました。
「自分の運は自分で切り開く!新年早々神に運命を決められてたまるか!仮に神がいたとして、ここで神にすがれるだけ負いすがらずして、いつすがる時があるのか!」と一心不乱に血眼で引き続けていました。
完全にご乱心の私の姿が面白かったのか、鬼気迫るものがあったのか、諌めることもなく、
「いいね」と同調した友人も同様のことを始め、みな一律1,000円以上使って大吉を引き当てていました。
5.友人の母怒る
このことを友人が笑いながら友人の母に話したところ、友人の母が怒りだしました。
「そんな罰当たりで恥知らずなことをするものではない!
今後は神妙におみくじの内容を噛み締めて、その年の始めの教訓としなさい!
お金の使い方もなっていない!」
まったくその通りだと思います。おみくじはどのような運勢が出ても「教訓」として生かすものだそうです。
ただ、引きなおしはしても良いそうですよ(笑)明智光秀も引きなおしていたそうです。
私は後から気づいたのですが、
「自分の運は自分で切り開く!新年早々神に運命を決められてたまるか!」といいながら、
「仮に神がいたとして、ここで神にすがれるだけ追いすがらずして、いつすがる時があるのか!」
と相反するふたつの感情を持って一心不乱におみくじを引いていたのです。
結局その年の受験には合格したので、もし神がいるなら心の広いユーモアのセンスがある方なんだろうと思いました。
また、それと同時に初詣に行っておみくじを引いたことをきっかけとして、
「諦めないで自分で自分の人生を切り開く決意」をさせてくれるきっかけとなったことに、なんとなく感謝の念を抱いたのを覚えています。
それ以来、私はおみくじを引いても友人の母の言うとおり、その年の初めの教訓として考えるようになりましたし、
祈りも「追いすがるスタイル」で「どうかお願いします!」と心から事細かに祈るようになりました。
それからは、初詣に行くと祈ることで気持ちの整理がつくようになった気がします。
仮に「凶」が出た時に、友人の母親の言うように、「その年のはじめの教訓」として捉えていたら、
真摯な気持ちで、「こころを改めて勉学に励みますから、どうぞ見守ってください」というお祈りをしていたかもしれないと思います。
こういった祈りは、強力かつ持続性のあるものだと思います。
吉レベルが出ていれば、「まずまず大丈夫そうだけれど、お願いします!」程度の軽い祈りにしかなりませんが、
「凶」が出たなら「どうか神様!お願い致します!薄氷を踏むような気持ちで精進してまいりますので、どうか御守りください!」
という祈りを継続的にするのではないでしょうか。
もし信心深ければの話ですが。
ここで私の母の話を考えてみると、
「3度も凶が出たことで、神に見放され終わった」と諦めて済ませてしまったのです。
その年が最悪の年になったのは、神に見放されたのではなく、
母の諦めが原因で、
結果として「最悪の年」にしてしまったのではないかと私は思います。
非常に酷ですが、そのように思います。
(別に母と仲が悪かった訳ではなく、逆にこういう話をよくする親子だったということです。)
しかも、「捨てる神あれば、拾う神あり」の八百万の神の国に住んでいるにも関わらず、他の神を頼りに行こうとしなかったことも「諦め」ではないでしょうか。
本当にいろいろ苦労もあったようで、年始早々打ちひしがれて可哀想だと思いましたが、
「諦めずに他の神社に行っておみくじを引いたり、お祈りをすれば良かったのではないか」
と母に言うと、
「そうするべきだったのかもしれない」と言っていました。
別に母を論破して調子に乗っている訳ではなく、とにかく、こういう理詰めで話をしないと、
いつまたコンビニ感覚で霊媒師のもとに連れていかれるかもしれないので、私も理論的になることに努めていたということもあります。
6.祈ることは諦めないこと
その後は、たまに神社・仏閣を訪れた際も、真摯な気持ちで祈るようになってからは以前よりも「諦めない」気持ちを持ち続けて物事に取り組めるようになった気がします。
そして、その「祈り」をしていなかった期間は損をしていたなと思うのです。
ということで、絶対に諦めないで自分の願いを「祈る」ことは大切だと思います。
「どうせ神などいやしない」などど達観して祈るのをやめてしまうのはもったいないと思います。
神でもご先祖様でも何に対してでも良いので、願いを強く心に抱いて粘り強く祈りましょう!
自分の希望していることが現実となるように願い祈ることやめてしまった時が、諦めてしまった瞬間と言えるかもしれません。
諦めず合格した自分をイメージしながら勉強を継続していきましょう。
みなさんが合格して、良い年を迎えられますことを心よりお祈り申し上げます。